とある双極性Ⅱ型の旅路

双極性Ⅱ型と共に働く日々

自己紹介代わりのメンタル年表(双極性Ⅱ型)

はじめに

双極性Ⅱ型(うつ状態と軽躁状態を交互に繰り返す気分障害)で、2年休職した後、何とか復職して会社員を続けています。

いろいろと振り返りをしていきたいなと思い立ったため、まず最初に、自己紹介代わりに年表を作ってみようと思います。

こども時代:いじめ、うつ発症、過食症

吃音(どもり)持ちだったこともあり、昔から友達を作るのは下手でした。周りの子が外で遊んでいても一人で本を読んでいたり、空気を読めずに話しかけたりと、小さい頃から社会性が低く、コミュ障でした。

小学5年生からいじめが始まります。クラスから学年、部活へと波及していきます。
親の方針で登校拒否ができず、たまに仮病を使うくらいで学校には行き続けました。

中学生になっても、部活でもクラスでもいじめられる日々。いじめる人は変われど、3年間、いじめは続きました。
今思えば、この頃からうつ病を発症していたと思います。

高校に進学し、いじめっ子たちと学校が分かれ、5年続いたいじめから解放されます。
が、長年いじめられた恐怖心から、私は本来の自分とは真逆の明るいキャラを演じるようになります。
周囲の人には恵まれたものの、慣れない演技の試行錯誤で疲弊し、うつの症状も悪化していきます。

大学には実家から通っていました。
高校からの延長で明るいキャラ演技は続き、精神の不安定さもどんどん増していきます。
就活のストレスから過食症(食べ吐き)になり、ここからほぼ毎日食べ吐きする日々が始まります。

社会人

20代:うつ病で休職

IT企業に就職し、大阪で一人暮らしを始めます。社会性のないコミュ障のため、基本的に周囲からは浮いていたと思います。
過食症も継続しており、体重の増減が激しく、着れる服を探すのに苦労しました。

20代後半のある時、一人で複数の不採算プロジェクトを任されることになります。助けてくれない上司の下で、社外でも社内でも頭を下げ続ける日々。やがて、システムトラブルで毎日深夜3時に電話が鳴るようになり、土日も呼び出されるように。
食事が取れなくなり、夜も眠れなくなり、なのに過食症はどんどん悪化。毎日、2回も3回も食べ吐きしているのにどんどんやつれていきます。

平日なのに起きたら昼だったある日、「あ、これは駄目だ」と唐突に思い、心療内科を予約し、その日に受診しました。
うつ病と診断され「すぐに休職してください」と言われましたが、一人プロジェクトで後任もいません。上司にも何も言えませんでした。

いろいろと限界で、仕事場でぼろぼろと泣き出すことが増えましたが、それでも助けはなく、むしろ上司からは仕事が増やされる始末。
泣く場所を探して会社の保健室へ通うようになり、会社の保健師さんとカウンセラーさんに背中を押されて、ようやく休職に入ることになります。

30代①:2年休職、双極性Ⅱ型へ

休職中は実家に戻り、ほぼずっと寝込んでいました。夜も眠れず、朝も起きれず、人と話すこともテレビを見ることもできませんでした。
お風呂にも入れないのに、過食嘔吐はしていた記憶があります。

休職中に、私は病院を何度も変えました。

1人目の医師は話は聞いてくれるけど薬をどんどん増やしていく人で、最終的には1日に何十錠も薬を飲んでいました。あの頃の不調の多くは薬の副作用だったのではないかと思います。

セカンドオピニオンを求めて行った大学病院では、「うつ病過食症を併発しているので専門病院を紹介します」とお断りされました。

そして紹介された3人目は、(私に対しては)非常に高圧的で攻撃的な医師で、診察のストレスで体調が悪化するほどでした。
ここで初めて診断名がうつ病から「双極性Ⅱ型」に変わります。処方薬が変わったことで、ようやく回復の兆しが見えてきます。

4人目が今の主治医です。復職を見据えて会社から近い病院から会社の保健師さんに紹介してもらいました。
ここで丁寧な診察と薬の調整をしてもらい、ようやく副作用が減り、睡眠も改善していきました。

30代②:復職、過食症が終わる

在籍していた会社の当時のルールでは、休職ができるのは2年まで。一人暮らしを再開し、ギリギリのタイミングでかなり無理矢理復職しました。

2年も引きこもっていると、筋力や体力はもちろん、脳の働きも鈍ります。最初のリハビリ勤務(少しずつ勤務時間を延ばしていく期間)は、朝起きて会社に行くだけで疲労困憊で、仕事どころではなかったのを覚えています。

久々の会社生活のストレスで、体調もメンタルもボロボロ。幽霊のように血の気のない顔をしてふらふら歩き、急に泣き出したり怒り出したり、体調を崩して急に休んだりと不安定でした。

そんなこんなで迷走しつつ、メンタルに理解のある上司のお陰で、徐々に社会人としての感覚を取り戻していきます。

この頃、主治医と薬の調整を続ける中で、双極性の処方薬の血中濃度がようやく安定してきました。

されに伴って、ここまでずっと続いていた過食嘔吐の回数が減っていき、半年ほどするとほとんど過食することはなくなりました。

30代③:転勤、そして戻る

会社の組織変更があり、転勤することに。双極性にとって生活の変化は大きなリスク。
それでも、会社で働き続けるには必要な経験だと覚悟を決めて転勤しました。

ここで、5人目の主治医が登場します。こちらも会社の保健師さんの推薦。明るく寄り添ってくださり、特に薬の処方を丁寧に調整してくださり、双極性の症状が安定していきます。

会社では、何度も上司が変わり、ある時、パワハラモラハラ上司の下に付くことになりました。
コロナ禍でテレワークに移行したこともあり、対面よりは大分マシだったものの、どんどん追い詰められていき、最終的には社内の別の部署に異動することで逃げ出しました。

40代:ぼちぼちやってます

今は大阪に戻って仕事を続けています。上司に恵まれて、今はこれまでで一番メンタルが安定しています。過食症も再発していません。

また、主治医は再び4人目の医師に戻りました。睡眠薬を処方してもらっているため毎月通院していますが、メインの処方薬はここしばらく変わらず同じ物を服用しています。

とはいえ、まだまだ健康体にはほど遠いですし、症状をコントロールできるとか、躁転やうつ転の予兆が自分で分かるとか、そんなレベルには全く達していません。

急に不安になって壁に頭をぶつけたり、過去の失敗を思い出して死にたくなったり、唐突に怒りが湧いて攻撃的になってしまったり、脳が高速回転を始めて仕事に集中できなかったり、夜に布団に入れなかったり。
突発的に体調を崩したり、人の多い会議やイベントに出ると翌日休んだり、というのは今もあります。

それでも何とか周囲に助けられて(あるいは許されて)社会人を続けています。
復職と同時に降格しましたが、その後は何度か昇格もさせてもらっていて、客観的に見て、順調に社会復帰している方だと思っています。
(自分では、いつもギリギリセーフで働いている感覚ですが…)

まとめ

うつ病→双極性Ⅱ型で、過食症(食べ吐き)を併発していた人間が、2年も休職したけど、何とか復職して浮き沈みしながら会社員を続けています。

ということについて、自分の心の整理のために、これから振り返っていこうと思うので、よろしければお付き合いください。