読書後の評価が180度変わることがある
読書が趣味で、小説をよく読みます。
読書記録を簡単につけていて、
- 面白かった、普通、面白くなかった
- 一言コメント
などをメモしているのですが、これが読んだ時期で激変したりします。
ある時に読んだ本が面白くて読書記録を付けようとしたら、前にも読んでいた記録があって、その時は酷評している、というのがよくあります。
単に、時間が経って経験を積んで立場が変わって感じ方が変わったというレベルではなく、作品に対する好悪が全く違う。
初回は「こんな本読むんじゃなかった、この展開は許せない」みたいなコメントだったのに、読み返したら「どこに腹が立ったのかは分かるけど、そんな気にするほどじゃないよね。面白いじゃん」に変わっている。
自分が別人になったみたいに、同じ小説に対する感想が違う。
これはもしかして、うつの私と、軽躁の私と、どちらでもない私で、感じ方が違うのではないか。でも、それぞれの私は「いつもの自分」として評価したと思っていて、「自分の感じ方」が違っていることに気づいていないんじゃないか。
そう気づいて、ぞっとしました。
自分の感じ方が信じられないということを客観的に突きつけられて、背筋が寒くなりました。
人間関係はどうか?
小説の感想くらいなら違っても誰にも迷惑をかけないですが、物事や人の評価も変わるのなら、大事じゃないですか?
自分でもそうと気づかずに、壊さなくてもいい人間関係を壊してきたかもしれない。
仕事関係で、どうにも気に食わなくて、何をしてても何を言っても気に障って仕方がないという人が過去に何人もいました。
明確にきっかけがあった場合もありましたが、今思えば、明らかに異常でした。
そして、双極性Ⅱ型と診断されて復職した後に顕著でした。
多分、その時の私は、うつ症状か軽躁症状で、自分に余裕がなくて、人付き合いの許容量が著しく小さくなっていて、苦手な部分がある人を受け入れ拒否していたんだと思います。
うつでも軽躁でもない私なら普通に関係構築できた人を、うつや軽躁の私はバッサリ切って捨ててしまった。
あの頃よりは余裕のある今の自分で再会して、もちろん私も相手も変化があったとは言え、特に嫌悪感もなく普通に付き合えている人もいます。
正直、相手はどう思っているんだろうと思うと、申し訳なくも思うし、戦々恐々とします。(あの頃は酷い態度ですみませんでした、と謝れればいいんでしょうけど、今更でもあるし、その頃のことを朧気にしか覚えてなくて言い出しづらい)
改めて思い出すと、人に対する感じ方も評価も私の態度も、時期によって全く変わってしまった事例がバッチリありますね…。
自分が信じられないのは恐い
ここまで書いて、これって典型的な双極性の行動パターンだなと気づきました。
軽躁だから大したことないんじゃないかと思っていたけど、そうでもなかったかも。人間関係を不必要に壊して、相手の人生も、自分の人生も変えてしまったかも。
そして、それを書いている今でも、今の自分がうつなのか躁なのかどちらでもないのか、正しい(?)私としての判断ができているのか、自分では分からない。
私は、私が私であるのは、私の考え方や感じ方そのものだという認識でいます。
なのに、そこが双極性は揺らぐ。
どうやら、双極性Ⅱ型も結構揺らぐ。
自分の感じ方に一貫性がなくて、自分が自分らしい状態かどうか分からない。自分の感じ方が信じられないっていうのは、めちゃくちゃ恐いです。
自分が自分じゃなくなる感じ。自分で自分がコントロールできなくて、仮に客観的なデータで自分の状態が分かっても、きっとそれを感覚として自覚することができない。
双極性Ⅱ型と診断されて10年以上経っておいて今更ですが、自分の感じ方の変化を実感してびっくりしています。
躁うつチェッカーが欲しい
これからも双極性Ⅱ型と生きていく以上、感じ方が変わってしまう自分を受け入れるしかないのでしょう。
でもせめて、自分の状態を知りたい。躁うつチェッカー(リトマス試験紙みたいに、自分がうつか躁かを教えてくれるツール)が欲しい。
それがないと、「今はうつだからネガティブに受け取る傾向が強くなるから、人の言葉を深読みしないようにしよう」「今は軽躁だからイラッとしてもそれは病気のせいかもしれないと立ち止まって、関係を切る判断は保留にしよう」という切り替えができない。
躁うつチェッカーが欲しい。
と、この2年くらい、頻繁に思っています。