とある双極性Ⅱ型の旅路

双極性Ⅱ型と共に働く日々

2年間メンタル休職して復職する前にしたこと

私は双極性Ⅱ型です。2年間休職した後、復職してぼちぼちやっています。

2年間の休職期間、通院以外はほぼほぼ実家に引きこもって過ごしていました。

そこから休職期限ギリギリで復職を目指したので、一人暮らしに戻って、会社近くの病院へ転院して、復職手続きをするというのを2ヶ月ほどでやりました。
かなり無茶をして復職したと思います。

まずは、復職するために当時したことをまとめてみようと思います。

(休職の2年間を整理してまとめた大作のExcel表が出てきたのでそれを見ながら書いて行きます)

体力作り

2年近く寝込んでいる間に、冗談抜きで筋肉が消えました。薬の副作用で平衡感覚がおかしかったのもあり、歩くのもやっと、実家の2階から1階に下りる時は階段をお尻で下りていました。そんなレベルからスタートしました。

散歩

復職の1年前くらいから、できるだけ毎日近所を散歩するようにしました。

人に会うのが嫌だったこと、休職して実家に戻っていることを家族以外には隠していたこともあり、フードをかぶってマスクをして、30分を目標に人の少ないエリアを歩いていました。(実家は田舎だったのでそうそう人には会いません)

ただ、歩いているだけでは筋肉はつかないし、少し出かけるとすぐに息が上がってしまっていました。

ジム

仕方なく、復職半年前くらいから、自転車で15分ほどのところにできていたジムに嫌々行くことにしました。

最初は筋トレが全くできなくて、寝転がった状態から腹筋しようとしてぴくりとも体を動かせず、ジムの方に「筋肉がある場所を意識するところから始めましょう」と言われたのを覚えています。

少しずつ筋トレを続け、有酸素運動も始めました。ランニングマシンはふらつきでの転倒が恐かったので、サイクリングマシンをこぐことにしました。何もせずにただこいでいるとイライラしたり嫌なことを思い出したりして情緒不安定になったので、家から本を持ち込んで、1冊読み切るまでサイクリングマシンをこいでから、自転車で家に帰っていました。(往復の自転車が一番の運動だったかもしれません)

運動嫌いを動かした恐怖

私は運動が嫌いです。特に単調な運動が嫌いです。

散歩にしてもジムにしても、この時の私を動かしていたのは、ひたすら恐怖でした。
その頃は、復職できなかったら「恥になった」私を家族は捨てると本気で思っていました。(この辺りはまた別途書きたいと思います)

なので、筋肉と体力を取り戻して社会復帰できなければ居場所がなくなるという恐怖で、ひたすらサイクリングマシンをこいでいました。

勉強の前に

休職している内に仕事で使う知識や技術をごっそり忘れてしまっていたので、復職の半年前くらい前から、資格試験の勉強を少しずつ始めました。(すでに取得している資格の参考書を読み直していました)

と言っても、椅子に座って本を読む、ノートを取る、勉強するということ自体ができなくなってしまっていて、最初は机の前に長く座っていられませんでした。なので、まずは勉強ではなく、椅子に座る練習から始めました。

復職に体力は必要

結果的に、体力は必要でした。

復職後は、朝起きて、朝ご飯を食べて、シャワーを浴びて、着替えて、化粧をして、通勤して、という日常生活で疲弊してしまって、しばらくは仕事をする体力がほとんど残っていませんでした。
ジムに行っていなかったら、途中でダウンしてしまっていたと思います。

一日中座りっぱなしでパソコン作業をしているような職種でも、そんな感じでした。(私が元々体力ある方じゃないというのもあります)

復職の準備

デイケア

復職前に通院していた病院にはデイケアがあったのですが、その病院では復職のためのプログラムはなく、家から出て人と触れあうためのデイケアがメインでした。(公園で遊ぶ、音楽を楽しむ、など)

私は人がいると無理して明るいキャラを作ってしまうので、デイケアでも元気に振る舞ってしまい、他の患者さんから「職員だと思っていた」とよく言われていました。

結果的に、社会人としての「外面の仮面」を被って人と接する訓練になっていたかなと思います。

障害者職業センター

実家のある地域には障害者職業センターがあり、(確か)復職の診断書がもらえればそこに通うことができました。

私の場合は復職の直前に診断書をもらうことになったため、残念ながらそこのリワークプログラムを受けることはできませんでした。

(職業評価という職業適性検査だけ受けさせてもらったのですが、休職前の職種に適性があったのが逆にショックでした…)

転院

実家と会社が離れていたので、復職するなら転院が必須でした。

他の記事で書いていますが、当時の主治医がもう本当に苦手だったので、また合わない先生だったらどうしようと不安でしたが、会社の保健師が「絶対この先生!」とお勧めしてくれたのでその病院に転院しました。結果、とてもいい先生で、安心して復職することができました。

一人暮らし準備

休職と共に一人暮らしをしていた部屋から実家に戻ったのですが、復職の3ヶ月前くらいから、週に一度、一人暮らしの部屋で一泊していました。(まだ復職の診断書は出ていませんでした)

自炊、洗濯、シャワー、化粧など、すっかり忘れている社会人の生活習慣を思い出すためにも、復職前から生活習慣を少しでも戻しておいてよかったと思います。(化粧品と服を買い直したりとか)

復職手続き

会社の産業医保健師、カウンセラー

私の会社はメンタル傷病が多い業種なのもあり、会社の保健師もカウンセラーもメンタル関連に詳しく、慣れていました。(産業医は頻繁に変わるのであんまりでした)

保健師がメンタルの知識や周辺の病院の情報に詳しい人だったり、カウンセラーがメンタルに詳しい人だったこともあり、多方面に助けてもらいました。

会社で契約している産業医保健師、カウンセラーのいいところは会社の状況や制度まで含めて相談に乗ってくれるところです。
最新の情報を踏まえてアドバイスをもらえたのはとても助かりました。
(2年も休職していると、会社の制度や文化が変わっていたりします)

人事部面談

復職の診断書をもらったら、産業医面談の後に、人事部と復職面談です。

それまで「病人」として扱われていた自分が、いきなり「社会人」として扱われて非常にあたふたしました。

社会人としての基礎知識や言葉遣いなどをすっかり忘れていたこともありますし、当時、会社が業績不振だったこともあって人事部にかなり厳しい態度を取られたということもあります。

社会人の仮面をきちんと被って、キツいことを言われても耐えて言い返せるように心の準備が必要だったなと振り返って思います。(正直、当時そんなことを考える余裕はありませんでしたが…)

復職については色々もめましたが、最終的にある職種が不足しているということで、そちらに職種変更することで復職できることになりました。

信頼できる人の見極めは必要

復職手続きをやってみて、人事部、産業医保健師は連携して動くので、信頼できるかどうか、誰にどこまで正直に話すかはよく考えた方がよいと学びました。

私の場合は、保健師とカウンセラーには正直に話してアドバイスをもらい、産業医と人事部には精一杯虚勢を張るようにしていました。結果的に正解だったかなと思っています。

そして復職へ

リハビリ勤務(時短勤務から少しずつフルタイムに戻していく)を経て、無理矢理ではありましたが、なんとか私は復職しました。

(自覚としては復職後2年ほどはゾンビのような状態だったと思っているのですが、当時を知っている人に聞くと「体調は悪そうだったけど仕事は普通にできていたと思う」とのことでした)

以上が、私が2年休職後、復職する前にしたことになります。

改めて振り返ると、「私、頑張ったな…」「相当追い詰められてたんだな…」と思いますね…。

休職・復職関連は、覚えている内に振り返っておきたいので、他の視点でも追々まとめていこうと思います。